横浜大空襲と中華街

1945年5月29日、横浜大空襲。跡形も無く崩壊していく横浜の景色。中華街も同じく焼け野原となりました。終戦し復興を目指し、皆が手を取り助け合いをする中、華僑も率先して復興作業にあたりました。そして中華街の文化を支える役割を果たす、横浜中華学校を再建させたのです。そして1955年、中華街復興の願いを込め大通りの入り口に「善隣門」。牌楼の上には、華僑が「唐人街」、日本人が「南京街」と呼んでいた中華街が「親人善隣」と掲げられました。

1960年代の高度経済成長が中華街を発展させます。中華街の周りにはマリンタワーや港の見える丘公園などができ、首都高速道やJR開通により更なる発展を促し、東京オリンピックそれに拍車をかけ中華街は大変な発展を継げました。また、パンダなどの日本における中国ブームの背景も中華街の活性化に繋がりました。

こうして中華街は横浜に定着し、横浜の観光名所となるほどになりました。それまでの道のりは非常に酷なものがあり、華僑の横浜を生きる過酷さが伺える程のものでした。開港が切っ掛けとなってやって来た中国人。戦争や反中国などの社会背景をはね除け生き抜いてきた華僑がいるからこその中華街。

こうした時代背景は忘れてはいけないものでしょう。こうした背景を知り中華街に行けば、今までとは違った中華街を見る事ができるでしょう。建物のひとつ一つ、門のひとつ一つに意味がある。その視点が新しい中華街の世界への切り口となるでしょう。

~ミニ知識~
・かなりの数の店舗数を誇る横浜中華街。東京ディズニーランドの入場者数と並ぶ程の1600万人が年間に訪れています。

・広東料理
広東から横浜に来た華僑が多かったため、8割程のお店が程が広東料理と言われています。魚介や農産物などを生かした調理法です。古くからが良いコクとの貿易を行ってきたちほうですから、外来の食材や香辛料なども自然に取り入れられたのが広東料理です。

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